哀悼を乗り越えて

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先週、金曜日の午後に連絡があった。昔勤めていた会社の元上司と言っても今はお互いに小規模の会社を経営していて、お互いに仕事を依頼することがあり、久しぶりに見るスマートフォンの電話番号と名前に懐かしさを憶えながら通話ボタンを押した。「悪い知らせなんだ….」と切り出した声には少し張り詰めた雰囲気があった、「お久しぶりです、どうしたんですか」と返す。「実はY君が死んだんだよ」Yさんは同じ会社の先輩で色々な事を教えて貰った人だ。何時も冗談ばかり言って頭の回転が早くとても尊敬できる先輩だった。そんなYさんが10年程前だろうか小規模の会社を起業した、コロナ前はお互いの事務所に行っては世間話しをしたり、お呼ばれでご自宅に遊びに行った事もあった、とても美しく優しい奥様と私と家内で楽しい時間を過ごしたのを憶えている。

詳細は省くが、Yさんが自らの人生にピリオドを打って逝ってしまうとは信じられなかった。

元上司との電話は60歳前後のいい大人が互いに泣き声になっていた。電話を切っても暫く呆然として何も手がつかず、その日は帰宅してYさんの自死を家内に告げた。冷静に受け止めてくれた様子だ。人は一人で生まれ一人で死んで行くが最後を自分で終わらせるのは余りにも悲しいし遺された人達には言葉が見つからない。この二日間何もやる気が無く寝たきりだったが、私は今こうしてPCの前に座っている。この文章は多分いつもの通り乱文だと思う誰かに向けて書いている訳ではない、それは恐らく自分に向かって書いている何故なら私は今日も明日もこの訳の分からない世の中に折り合いをつけながらYさんへの哀悼を乗り越えて歩いていくからだ。私は未練たらしくみっともない覚束ない足取りで歩いていく。私は自ら歩みを止める事はしないだろうから貴方が私の記憶にあるかぎりは、もう貴方は勝手に終わらせる事できない。

出来の悪い弟子 立川 望

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