父の一周忌

icon昨年の三月二十八日の夜に父が他界しました。その前の師走に実家に行った帰り際に父が私に言ったことは「俺にもしもの事があったらお前に全て任すから、お前の思った通りにしてくれ」でした。今思えば病状も進み予感があったのかもしれない。

歳が明けてからは入院から転院で緩和ケアへと、思い返せば家族葬が終わり仏壇に手を合わせて帰宅する車から見えた葉桜が私に春の終わりと現実の世界に戻してくれた様な気がしました。不思議なのは幼少期の私に対しての父の小言や説教は馬耳東風であったはずなのに今頃になって思い出す事です、それも全く突拍子も無い時に思い出す、、不思議でならない。最後まで家に帰りたかった父の意志と母の心中を聴き一年は仏壇に遺骨を置いておくことに、私より両親に可愛がられた弟も同意してくれた。

あれから一年が過ぎ樹木葬に埋葬したいと母からの提案もあり手続に行ったのは未だ一月頃だったろうか、話を聞くと核家族化し分断化が進む今の日本には良く出来た方法だと思いました。父は四人兄弟の末子なので新たに墓を作るのか迷ったが生前の父は俺の骨は海にでも撒いてくれと言っていた事を思い出し樹木葬にすることにした。

三月と九月のお彼岸にはお寺からお坊さんに来て頂いて法要をしてくれる、一周忌は命日より早く行うらしく、丁度お坊さんが来る日に母と二人で一周忌を兼ねて行って参りました。春の日も温かく不思議と母はすっきりとした顔をしていたのを覚えています。

お坊さんの話というものは不思議と学び多く納得させられる物ですね

お彼岸の間は「お陰様という気持ちで過ごしましょう(お陰様の語源は神仏の助けなどによって受ける恩恵)彼岸に逝かれた亡き人やご先祖様に感謝して過ごしましょうと言っていた。お恥ずかしい事ですが初めてお彼岸の大切さ知りました。一年に二回くらいは、そんな心持ちで過ごせば少しは一人前の人間になれそうな気がしました。

”凜とした 母の夜顔 後ろ姿は 陽炎のやう”
”父を待つ 一周忌にて 心静かに 春の夜に思ふ”

お彼岸は、人間の迷いや苦しみの元となっている煩悩のない世界のことで、極楽浄土を指しています。 お彼岸は、サンスクリット語で「悟りの世界」を意味する言葉です。 語源は、パーラミター(波羅蜜多)の漢訳語「到彼岸(とうひがん)」からきています。 パーラミターとは「完成する」、「成就する」などの意味があります。

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フリーランスから会社を起業して27年になります。 絵を描いたり本を読んだりしています。時々ブログを投稿しています。
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